私の母の、ハズキルーペこそ世界に誇るべき日本技術という信念は非常にかたく、
是非イギニョのママにということでハズキルーペを渡されたのだった。
当初、離婚後に初めてお付き合いするようになった男性が生まれながらの身体障害者
という話をしたら血相を変えて、「バツイチ子持ちだからそういう相手がお似合いってことなの!?」とずいぶん差別的な(多方面に)言われ方をされたのだった。
特に私とイギニョが子ども達と一緒に共同生活を始めると知った時には、
私の離婚後、我が子のように育ててきた孫2人の行末を案じて猛烈に反対された。
イギニョの悪口もたくさん言われた。そしてその悪口の内容が、彼の人間性についてではなくて、彼が選択してそうなったわけれはない身体のことについてだったのが、私を傷つけた。
私の母は高学歴で教養があるだけでなく非常に働き者で、子育てにも家事にも骨身惜しまず、
気が強いけれども頼まれごとをされると断れず、100%で返してしまうような情の厚い人で、
私自身は父似のサイコパス的な要素が強い人間なのだけれども、
それでも誇れる数少ない自分の美点は、そういった母の教えや行動から形成されたと思っている。
だから母がイギニョの身体障害について良からぬ発言をする際はいつも、
好きな人を親に悪く言われて純粋に悲しい気持ちと、母が自分が思っていたほどの善人ではなかったのかもという落胆が混じって、2倍3倍、傷ついた。
しかしそれも、我が子以上に大切な孫の身を案ずるがゆえの言動だったと、必ずしも彼女の本意ではなかったかもしれないと、今は思える。
とはいえ母が孫育てに疲弊していたのは確かで、
私と子ども達が実家を出てしばらく経った頃、母から
睡眠時間が増えたことで、それまで治らなかった肌荒れが改善したことや、
夜の1人時間が増えて撮り溜めたテレビ鑑賞や読書ができる時間が尊い!などの話を聞いて、
まあなにはともあれ結果オーライだなと思った。
私がイギニョと子ども達と家族という形を作りたい気持ちと、
散々世話になっている母を悲しませたくない気持ちの狭間で葛藤していた時最終的に思ったのが
「人生一度きりだし、なにより親は自分より先に死ぬのだ。」
ということ。
言語化すると陳腐で引くけど、親が死んだあとも生き続けて子どもを育て上げるのは他でもない自分なので、今私がしたい挑戦をしたい。って思ったのだった。